2015年9月10日木曜日

感じる喜び伝える喜び

ウラディーミル・ホロヴィッツはかつて
「ショパンをモーツァルトのように、モーツァルトをショパンのように弾きたい」
と語っていました。

また、同じくピアニストのグレン・グールドは、演奏記号をてんで無視したり、装飾音符も好き勝手に変えて演奏する独特のピアニズムで、周囲をあっと言わせました。

ベートーベンの交響曲第五の冒頭の有名な「ジャジャジャジャーン」の解釈は、振る指揮者によって百人百様です。


第五冒頭の聴き比べ(YouTube投稿動画より)


100人の朗読者のうち99人が「この話は実に朗らかな話だ」という作品を、あなたひとりだけは「切なく物悲しい話として読み伝えたい」と思ったとしたら、あなたは自分の感じ方を信じて感じたままそう読んでください。

ただしもしあなたが「切なく読みたい」と思って読んでいるのに、聴いている方が例えば「切なく、というよりも陰鬱に聴こえる」のだとしたら、あなたの読みたい思いと表現方法の間の齟齬を微調整すれば良いだけのことです。
私はそのお手伝いをするのが仕事だと思っています。


朗読指導の考え方もさまざまで
「感情や抑揚を抑えて淡々と」読むことを推奨される指導者もおられます。
聴き手に読み手の先入観を与えず、自由に発想してもらうため、ということを実際に指導を受けた方からの聞き伝えで伺ったことがあります。


私も「報道」「論文」「説明文」への感情移入は不要だと思います。
でも、いつもちんぷんかんぷんな読解不能の「取扱説明書」を誰かにそばで抑揚たっぷりに読んでもらったら、少しは作業がはかどるかもしれませんね(笑)


私には
「これが正解で、あれは不正解」
「こう読まなくてはならない」

という考えはひとつもありません。
もしバッテンをつけるとしたら「こうあるべき」という決めつけを持つことです。










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