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2014年8月11日月曜日

人の気も知らないで 朗読練習

マンツーマン体験レッスンを希望される方はこちらもお読みください。
http://wakei-shiori.blogspot.jp/2015/03/blog-post_6.html




今日は練習用にシャンソンの曲を置いていきます。

 素材は、ダミアの『人の気も知らないで』TU NE SAIS PAS AIMER です。

 "TU NE SAIS PAS AIMER" とは、直訳すると

"あなたは 愛する 術を 知らない" とか "あなたは 愛を 知らない"

 というような意味ですが、『人の気も知らないで』って、詩的でいい訳ですね。


まずは、ダミアの渋いシャンソンをお聴き頂きたいです


ここからは、練習用BGMです。
未練たっぷりな中年女風、とか、退廃的な小娘風とか………
色々な雰囲気を出して、なりきってみてくださいね〜

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

訳詞・電子ピアノ : ワケイシヲリ 


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

 『人の気も知らないで』

あの夜 あなたは 私に身をまかせた
けれど 心までは 許さなかったってことね
微笑みすら 戯れだったの
恨み言ひとつ 言いいたくなるわ

あなた 女を愛せないのね 愛なんて知らないでしょ
手を伸ばせば 抱きしめてくれる だけどどこか空しい
まなざしの奥の 本当の心が知りたいのに
その蒼い瞳には 何も映りはしなかった

安っぽく笑って いたずらに歌う 熱いだけの青春
追うのは ただ 儚い享楽
あなた 愛したことないでしょ 愛なんかどうでもいいのね
これからだって きっと そうだわ

もうじき この春は 去りゆく
いっそ あなたも 行ってしまえばいい!
きっとすぐに 忘れるから
こんなの ばかげた夢 はじめから 正気じゃなかったんだわ

あなた ちゃんと愛したことないでしょ 愛せない男よ
指の先で あなたは 応える 空っぽの心のまま
分かってた でも 求めたのよ
けれど あなたが思うのは 別のひとと交わしたキスね

おどけて 戯れ合って 気まぐれな日々 若さにうぬぼれて
ずっと続くとでも思ってるのかしら
愛など 知ろうともしないあなた いいわ でもね
それじゃ女は あんまりにもみじめなもの さようなら あなた

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

【原語】"TU NE SAIS PAS AIMER"

Un soir ton corps s’est donné 
Oui mais ton cœur tu l’as gardé 
C’est pourquoi malgré tous tes sourires 

Mon regret ne cesse de te dire 

Tu ne sais pas aimer, tu ne sais pas 
En vain je tends les bras 
Je cherche une âme au fond de tes grands yeux 
Une âme et ne vois rien qu’un peu de bleu

Ta jeunesse ardente, qui se moque et chante 
Ne veut retenir que le plaisir 
Tu ne sais pas aimer, tu ne sais pas 
Jamais jamais tu ne sauras 

Bientôt fini le printemps 
Avec lui va-t-en donc va t’en! 
Et un jour enfin vois-tu j’oublie 
Ce rêve n’était qu’une folie

Tu ne sais pas aimer, tu ne sais pas 
En vain je tends les bras 
En vain j'appelle
Et voudrais te bercer
Tu ne songes qu'à de nouveaux baisers

Ta jeunesse ardente, qui se moque et chante 
Ne veut retenir que le plaisir 
Tu ne sais pas aimer d’ailleurs tant mieux 
Cela fait trop souffrir, adieu 

2014年8月9日土曜日

オペラを詠む

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最近、面白がってよくやっていることがありまして……
それは、オペラのアリアやシャンソンを自己流に訳詞して、自分で弾いた電子ピアノに合わせて音読の練習をすることです。

と、言いますのも、私ももうじき50歳という年齢のせいか、気が付くと自分の中の「恋心」がすっかり薄まってしまった気が……

えらくサッパリはしてて、生きやすいというメリットの方が多いのですが…
(まず変に気が散らないという利点アリ !?)
…かと言ってバサバサになってしまうのも、正直とっても怖いような……

何ともどっちつかずの年齢だな、と思います。
けれども、少しは悪あがきもしてみようじゃないかと……
そこで、アリアやシャンソンの切々と唄う女心から学び、女心を逆輸入しようと思い立ちました。
誰かを好き過ぎて涙が出てしまう、とか、そんな儚い憂いを呼び戻して、感度を上げようかなあ、なんて、思った訳です。
勿論、表現活動のためであって、実生活のためではありませんよ(笑)


音源と訳詞をこれからボチボチ載せていきますので、よろしかったら朗読の表現練習に使ってください。
ちなみに、わたしは自分で読んだものを夫に聴かせたら、彼は明らかに引いてました。
(と、言うより、怖がっていたみたい)
確かに、ちょっと「道を違えた熟女」…みたいな雰囲気になってしまいました。


さて、まず、一流の声楽を聴いてインスパイアされてから、やってみてください。
これは、マリア・カラス唄う『私のお父さん』の中で、私が最も愛する映像です。
全盛期の”超絶”正確音程、かつ、伸びのある声とは異なるでしょう。
しかし成熟した女の人の、栄華も哀しみもたずさえた、どこまでも愛情深い歌唱であると感じるのです。
しかも、私がしでかした「道を違えた熟女」然でなく、娘らしさ漂う表現は、若い頃のままです。


プッチーニ 作 『ジャンニ・スキッキ』より 
”O mio babbino caro”


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

↓コチラは、練習用の素材です
音源は、2:09です。 
読むテンポや、間の取り方にも工夫してください。

訳詞 & 電子ピアノ : ワケイシヲリ

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

『私のお父さん』

大好きな お父さん
わたしね 彼に夢中なの
たまらなく 素敵な人よ
わたし ポルタロッサ通りに 行こうと思っているの
そうして 愛のしるしに 指輪を買うのよ!

そう! そうよ!
早く 行きたいわ!
もし この愛が実ることなく 哀しい運命に 摘み取られるのだとしたら
わたしは 迷うことなく ポンテ・ヴェッキオ へ行って
あの橋の上から アルノの河へ 身を投げるわ

苦しくて 胸がどうにかなりそう!
ああ 神様
いっそ わたくしに 安らかなる 永遠の眠りを 与えたまえ

お父さん どうか! どうか! 分かってほしいの 情け深い そのお心で

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

【原語】”O mio babbino caro”

O mio babbino caro
mi piace, bello, bello;
vo' andare in Porta Rossa
a comperar l'anello!

Si', si',
ci voglio andare!
e se l'amassi indarno,
andrei sul Ponte Vecchio 
ma per buttarmi in Arno!

Mi struggo e mi tormento!
O Dio,
Vorrei morir!

Babbo pieta', pieta'!

2014年7月24日木曜日

「間に合わなかった」愛しきアーティスト達

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生で演じる古今亭志ん生(五代目)を(聴きたかったのに)聴くことが出来なかったジェネレーションのことを、総じて

「志ん生に間に合わなかった世代」

と呼ぶそうだ。あべこべに、動く志ん生を観られた人は

「志ん生に間に合った」人々という訳だ。


志ん生の最後の高座は昭和四十三年ということだから、仮にその頃寄席に行ったところで当時三歳だ。やはり私も間に合わなかった世代である。

私の父は「間に合った」クチだが、それでもやはりそう何度も観られた訳じゃない、と言っていた。
なにしろ型破りの噺家人生だった。売れるのが遅かったというのもあるだろう。

父はあるとき(都電だったかバスだったかは失念したが)乗り物で、偶然にも金原亭馬生と居合わせたことがあったそうだ。
志ん生は昭和三十六年に脳出血で倒れ、その頃は高座を離れていたと云うから、恐らく昭和四十年前後の出来事だろうと思われる。
落語も志ん生も愛していた父は、思わず
「おとっつぁんは、どんな塩梅ですか」
と、尋ねてしまったという。
馬生は、はにかみながら
「ええ、まあ、達者にしてます」
と、にこやかに答えてくれたのだと言っていた。
その馬生からも、弟の志ん朝からも、私達はとうに置いて行かれてしまった。





全く畑違いではあるが、私が『間に合わなかった』ことでもう一人たいへんに残念なのは、マリア・カラスである。
しかし、私は一方的にではあるがカラスとのとっておきの思い出があるのだ。
1974年(昭和49年)に彼女はツアー来日し、東京文化会館大ホールでリサイタルを行った。
委細は覚えていないが、父はチケットが欲しかったのにともかく入手できなかった。
だが諦め切れなかったのだろう。
会えるはずもないカラスをほんの少しでも近くに感じるためなのか、父はリサイタル当日、私を伴い東京文化会館にまで出向いたのだった。
父はホール扉から程近い階段の踊り場で、手すりにもたれるようにしながら、耳を澄ませていた。
そして、
「ここまで聴こえるだろ。全盛期は過ぎたとは言え、声量はさすがだなあ」
と、嬉しそうに私に言ったのを覚えている。
なるほどカラスの唄声は、ホールの防音壁をも貫き、私の耳にまで届いた。
私は家で彼女のレコードを聴いたことがあったし、LPジャケットの顔を思い浮かべることも出来た。ホールから漏れるほどの大きな声は凄いには違いないと思ったが、何しろ子どもであったので、彼女が世界の人々をどれほど深く魅了していたかについては、少しも思いを馳せようとしなかった。
其れ故、その場で父と小さな感動を共有することは出来なかった訳でもある。

しかしのちに、私もこのdivaにすっかり捕えられた。だがそれは彼女の没後十年も経てのことだった。
カラスと私を繋ぐこの儚く細い接点は、今も甘美な秘め事の記憶のように私の胸を締めつける。
死んでしまってからその人物を愛するとは、何と狂おしいことだろう。


その日の映像は見つからないが、YouTubeでは同来日時に催されたNHKホールでのリサイタル映像を観ることができる。








東京文化会館やNHKホールのHPでは、過ぎ去りし日のコンサート情報が検索可能である。
↓ 東京文化会館 アーカイブ (1974年10月27日(日)・大ホールの記事)

↓ こちらはNHKホールのあゆみ



2014年7月20日日曜日

バッハをロマンティックに

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フルトヴェングラーの振るAir(いわゆるG線上のアリア)を初めて聴いたとき、曲の冒頭から私はまことに文字通り仰け反った。
そしてその、どこまでもロマンティックなAirに、すぐさま全身をくにゃくにゃにさせられたのでした。






こちらはトスカニーニ指揮のAir