ワタシのこと その1
ワタシのこと その2
↑ここからの続きです
続編です〜
◎朗読をはじめたきっかけ
今から14〜5年前、病気に罹り2年近く寝たり起きたりの生活をしていました。
体も頭も心もずっしりと石のように重く、生活のあらゆる面が混沌としていました。
病気をしていて何よりつらかったは、自分が社会に対して全く無用の存在になってしまっているのでは、と恥じてしまうことでした。
家族に厄介になり、いちばんよく喋る相手はお医者さま。
何の役にも立たないどころか人に迷惑や心労をかけたり、同情されたり、可哀想な人間として見られている。
今となっては当時の自分の気持ちを、平易な言葉でしか表せませんが、それは闇の中で一本の針を探すミッションを科せられているような、切なく不安で出口のない日々でした。
病気やうつ病などになられた経験がある方なら、みなさん同様な思いをされているものとお察しします。
私の病状は一進一退でした。
少し調子がいいと思っても、しばらく起き上がっていると、くらくらします。
頭が少しだけ冴えていた日は、いつもたいてい寝っ転がって本をめくっていました。
でも、疲れるんですね。本を読むのも。
体勢も目も手も。
それから、肝心の頭が集中力を欠いていて、内容がすんなり入ってこないのです。
それまでは、本を読み切るのがかなり早い方だと自負していましたが、病身の頃は1ページを行きつ戻りつして何日もかけてなんとか1冊読み終え、しかしそれでも当時読んだ本の中身は今でもあまり覚えていません。
誰かに読んでもらいたいなー。。。。と、ポツリ、心の声。
そうこうしている或るとき、昔、父がよく
「おい、これ、ちょっと声に出して読んでみろ!」
とあれこれ文芸作品を差し出してきては、音読させられたことを思い出しました。
同時に、親に、これもやはり主には父なのですが、寝る前に毎晩絵本を読んでもらったことを思い出しました。
父は子どもの私がタジタジになるくらい、一冊の絵本をそれはそれはドラマチックに読むのです。
そのインパクトがあまりに強いため、盗賊ものなんかを読まれた時には、聴きながら恐怖で全身がこわばってしまうほどでした。ちょっとやりすぎですよね。
そんな父ですから、音読させられたあと私が
「ねえ、なんで読ませたの?どうだったのよ」
と聞くと、
「ま、普通だな」
と、ひとことだけ。
!!!
「フツー」って言われるの、なんだか面白くないですよね。
思い出して、苦笑いしました。
けれどもまあ、そんなことを思い出して、少し微笑むことができたのも、何かの兆しだったのかもしれません。
そうだ、このままもし体力は戻らなくても、口は何とか動くんだから、声だけは出してみよう、と思いました。
当時はひどい不眠症でしたから、夜は長い。
前向きに捉えれば、夜は私だけのものでした。
家族が寝静まった深夜、私はエッセイや小説をひとり朗読してみました。
すると!!
面白い!!!
言葉を感じながら読むから、頭にも心にもうまく響いてくる!
長時間話すようなこともなかったので、読んでいるうちに喉が痛くなったり、呂律も怪しいところは多々ありましたが、しかし、それらに気を払う、ということ自体が何かとてつもなく大きく飛び越えられた気がして嬉しかったのです。
何の気晴らしも無かったですからね。
自分の声でありながら、それが、刺激にも娯楽にもなったのです。
とたんに何かのスイッチが入りました。
わーーーーー!朗読っていいなあ。
自分よりもっとうまい人のを聴きたいなああ!!
次回につづく〜!!
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